ロバーツ監督は日本語を話せる?沖縄生まれで、母親が日本人!!

人物

今回は、大谷翔平選手が今年から加入したロサンゼルス・ドジャースのデーブ・ロバーツ監督について書いていこうと思います。

母親が日本人で、さらにロバーツ監督も沖縄生まれということで、日本にルーツを持っているロバーツ監督。これだけ聞くと日本語が話せそうな印象を受けますが、実際はどうなのでしょうか?

日本語は話せないが、聞き取りはできる

ロバーツ監督は、1972年5月31日に、元海兵隊の父ウェイモンさんと母栄子さんとの間に沖縄県那覇市で生まれました。

それから程なくして一家は、ウェイモンさんの転勤で日本を離れ、アメリカで生活を始めます。この時のことを母栄子さんは、

「バイリンガルとして育てることができなかった。あの時もっと教えればよかった。後悔している」

「日本語を教えようとしたが、2人の子供(ロバーツ監督と妹のマリサさん)を育てることが精一杯だった」

と語っていて、慣れないアメリカ生活で、栄子さん自身も英語を覚えなければならず、子供との会話はどうしても英語になったそうです。

ロバーツ監督が日本語を話せないのはこういう理由があったんですね。

しかし全く日本語で話さなかった訳ではないので、ロバーツ監督は話すことは苦手ですが、聞くことに関してはある程度理解できるようです。

沖縄生まれに誇りを感じると発言

ロバーツ監督は現役時代の2003年に、子供のチームを対象にした野球教室の開催のため、20年ぶりに沖縄に里帰りしています。この時ロバーツ監督は

「日本語は話せないが、沖縄は第二の故郷。日本ということでなく沖縄生まれであることを誇りに感じている」

「プレーする時は、チームや自分だけでなく、沖縄を思いながらやっている」

と沖縄に対する思いを語っていました。

ほとんど日本に住んだことがないにもかかわらず、ロバーツ監督は自分のルーツとしての「沖縄」をとても大事にされているようです。

アメリカに住む栄子さんには、塩せんべいを買って帰ったそうですよ。

大谷翔平以外にも日本人選手との交流が盛ん

すでに大谷選手とも良い関係を築いています

ロバーツ監督は現役時代に、野茂英雄投手や石井一久投手と一緒にプレーをしています。

彼は日本人選手が早くチームに馴染めるように、シーズン前のキャンプに母栄子さんが作った焼そばやおにぎりを差し入れて、親睦を深めました。

石井一久さんは、この時のことについてこう語っています。

 ロバーツは、僕が入団1年目(02年)に一番話しかけてくれた選手。いい時だけでなく、調子が悪い時も。日本人のマインドも持っているので、日本人がどういう発言や行動で落ち込むのかも分かる。そういう時でも「大丈夫だ」と常にファイティングポーズを取らせてくれた。

当時いかにロバーツ監督が、日本人選手を気に掛けていたかがわかります。

野茂さんや石井さんが一年目から活躍できたのもロバーツ監督のおかげ!?

まとめ

今回はドジャース・大谷翔平選手の新しい監督である、デーブ・ロバーツ監督について書いてきました。

母親が日本人で沖縄生まれですが、日本語を話すことはできないようです。ただ、聞くことに関しては少しは理解できるようです。

その明るい性格から、選手やファンに人気のロバーツ監督。これからも大谷選手と共に注目していきたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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