10月17日に放送されたブラタモリでは「農業王国・北海道十勝」が紹介されていました。
そこで今回は、北海道・十勝はなぜ日本有数の食料供給地になったのか。開拓の苦難、「豆」がもたらした繁栄と暴落、輪作という知恵、戦後の大規模化まで、農業王国への歩みをわかりやすく解説します。
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食料自給率1000%超の大地

北海道東部に広がる十勝地方。中心都市の帯広を含む19市町村からなるこの地域は、カロリーベースの食料自給率が1,000%を超えるとされ、「日本の食料庫」の代表格です。
小麦、じゃがいも、てん菜(砂糖大根)、豆類、そして乳製品や牛肉まで、私たちの食卓を支える食材が数多く生み出されています。
しかし、この地は最初から豊かだったわけではありません。厳しい寒さと冷害、害虫に苦しみ、開拓者が何度も挫折した土地でした。その流れを変えた大きな要素のひとつが「豆」です。
十勝が食料供給地になった理由は3つ
先に結論をまとめると、次の3点に集約できます。
1️⃣広大な平野と気候:
日照時間が長く、雨が少なく乾燥した冷涼な気候が、畑作に向いていた。
2️⃣豆を軸にした輪作の確立:
豆・麦・じゃがいも・てん菜を順番に育てる仕組みで、土地を疲れさせずに安定生産できるようになった。
3️⃣大規模経営と組織・技術の力:
機械化、農協、試験場、加工産業が連携し、「作って売る」仕組みを整えた。
それぞれを、歴史の流れに沿って見ていきましょう。

開拓の始まり:苦難に満ちた「十勝の夜明け」
十勝の名は、アイヌ語の「トカプチ」に由来するという説が広く知られています。明治以前、この地は主にアイヌの人々が暮らす土地でした。
本格的な和人の入植が進んだのは明治に入ってからです。1883年(明治16年)、静岡県出身の依田勉三らが結成した「晩成社」が入植しました。彼らを待っていたのは、想像を超える自然の厳しさでした。
- 冬は氷点下の厳しい寒さが続く
- 作物が育つ前に霜が降りる
- バッタ(蝗)の大発生で畑が食い荒らされる
- 交通手段が乏しく、物資の運搬も困難
晩成社は農業のほか、牧畜やバター・缶詰づくり、豚の飼育などにも挑戦しましたが、事業としては思うように成功しませんでした。それでも彼らの挑戦は、十勝開拓の礎となったと評価されています。
十勝を変えた「豆」の力

冷涼で乾燥した気候に合った作物
開拓者たちが試行錯誤を重ねるなかで、この土地に合う作物として頭角を現したのが豆類でした。
豆は、冷涼で雨の少ない気候を好みます。さらに、豆類の根には根粒菌が共生し、空気中の窒素を土に取り込む働きがあります。
つまり豆は、やせた土地でも育ちやすく、土を肥やす力まで持つ作物でした。火山灰質で肥沃とは言いがたかった十勝の土壌にとって、これは大きな味方でした。
「豆景気」の到来
大正時代、第一次世界大戦(1914〜1918年)の影響で、ヨーロッパを中心に食料需要が高まり、豆類の価格が大きく上昇しました。
十勝産の豆は高値で取引され、帯広を中心に豆で財を成す人々が現れ、「豆成金」という言葉も生まれるほどの好景気に沸きました。
この「豆景気」によって、十勝は「開拓の苦しい土地」から「稼げる農業地帯」へと、イメージも実態も大きく変わっていきます。
小豆、金時豆、大豆、手亡(白いんげん)など、さまざまな豆が栽培され、現在も十勝は国内有数の豆の産地です。

繁栄の裏にあった暴落と凶作
しかし、豆景気は長くは続きませんでした。大戦が終わると相場は急落し、「豆成金」の多くが一転して苦境に陥ります。
さらに十勝は、たびたび冷害や凶作に見舞われました。とくに昭和初期は世界恐慌と冷害が重なり、農家の経営は深刻な打撃を受けました。
ここで十勝の農家が学んだのは、ひとつの作物に頼る危うさでした。価格が暴落しても、天候不順があっても、経営が揺らがない仕組みが必要だったのです。
農業王国を支えた「輪作」という知恵

その答えのひとつが輪作(りんさく)です。
同じ畑で、年ごとに異なる作物を順番に育てる方法で、十勝では小麦、豆類、じゃがいも、てん菜などを組み合わせた「畑作四品」を軸とする輪作体系が定着しました。
輪作には次のような利点があります。
- 連作障害や病害虫の発生を抑えられる
- 豆の窒素固定などで土づくりが進む
- 収穫時期が分散し、作業負担が平準化する
- 価格変動や天候リスクを分散できる
豆は、この輪作のなかで「土を育てる役割」を担っています。豆の力は、収益面だけでなく、十勝農業の持続性を支える土台でもあるのです。
戦後の機械化・大規模化と、加工産業の発展
戦後、十勝は農地改革や機械化を経て、大規模経営へと進みます。トラクターやコンバインの導入により、1戸あたりの耕地面積は本州と比べて桁違いに大きくなりました。
あわせて、地域の仕組みも整っていきます。
- 農協(JA)による集荷・販売や営農指導
- 試験場や大学による品種改良・栽培技術の研究(帯広畜産大学など)
- てん菜から砂糖を作る製糖工場、でん粉工場、乳製品工場などの加工産業の発達
- 小豆を使った餡や菓子など、地域ブランドの成長
また、畑作だけでなく酪農・畜産も大きく発展しました。畑で育てた作物や飼料が家畜を支え、堆肥が畑に戻る、という循環も形成されています。
現在の十勝と、これからの課題
現在、十勝の農業産出額は約3,000億円規模とされ、北海道全体の中でも大きな割合を占めています。一方で、課題も少なくありません。
- 気候変動による天候の不安定化
- 担い手の高齢化と後継者不足
- 国際的な価格競争や貿易環境の変化
- 肥料・燃料・資材価格の高騰
こうした中で、スマート農業(GPSトラクターやドローンの活用)、農産物の高付加価値化、観光との連携なども進んでいます。
よくある質問
Q. なぜ十勝は「豆」が有名なのですか?
冷涼で乾燥した気候が豆づくりに適していたことに加え、大正期の豆景気で産地として大きく発展したためです。現在も小豆や金時豆などの主要産地です。
Q. 輪作とは何ですか?
同じ畑で作物を毎年入れ替えて育てる方法です。病害虫の抑制や土づくりに役立ち、十勝では豆・麦・じゃがいも・てん菜などを組み合わせています。
Q. 食料自給率1,000%超とはどういう意味ですか?
その地域で生産される食料のカロリーが、地域住民の必要量の10倍以上に相当するという意味です。十勝の生産物は全国に供給されています。
まとめ
十勝が日本有数の食料供給地になったのは、広大な土地と気候に恵まれたからだけではありません。
開拓者の挫折、豆景気の繁栄と暴落、凶作という苦難のなかから、豆を軸にした輪作と大規模経営、地域の組織力を築き上げてきた、その積み重ねの成果です。
十勝産の豆や小麦、乳製品を口にするとき、その一粒の向こうに、百数十年の挑戦の歴史があることを思い出してみてください。
