将棋界の新星、伊藤匠七段。その名を聞けば、多くの将棋ファンが彼の才能と将来を期待するでしょう。
この記事では、伊藤七段の出身高校や彼が将棋の道に進んだ背景、そして現在までの軌跡について詳しく探ります。
伊藤匠七段のプロフィール
- 名前:伊藤 匠(たくみ)
- 生年月日:2002年10月10日の21歳(2024年6月現在)
- 出身地:東京都世田谷区
- 得意戦法:相掛かり
- 師匠:宮田 利男八段
小学5年生のときに奨励会に入会し、17歳でプロデビューを果たします。
藤井聡太さんの14歳2カ月という記録には及びませんでしたが、プロ入り平均年齢が21、22歳ということを考えれば十分優秀であると言えます。
伊藤匠七段の出身高校
伊藤匠七段は東京都世田谷区の出身で、幼少期から将棋に親しんできました。
伊藤七段の出身高校は、公式に詳細な情報が公開されていないものの、進学校に通っていたことが知られています。
進学校に在籍していた彼が高校1年生の1学期に退学し、将棋に専念する決断をしたことは大きな話題となりました。
彼の言葉を借りると、「棋士になるという目標が明確にある中で、学校に行く時間は必要ないと思いました」。とキッパリと語っています。
この一言からも、彼が将棋に全てを捧げる覚悟を持っていたことがうかがえます。
藤井聡太竜王とは幼少期からのライバル
伊藤匠七段が将棋を始めたのは5歳の時、父親に教わったのがきっかけです。
彼の才能は早くから開花し、小学2年生の時には、JT将棋日本シリーズの子供低学年大会で関東大会で優勝するという偉業を達成しました。
同じく将棋界の天才と称される藤井聡太八冠とは幼少期からのライバルであり、互いに刺激し合う存在でした。
藤井聡太さんに同世代のライバルがいたなんて!!
藤井聡太を泣かせた男
伊藤七段と藤井八冠を語る上で必ずといっていいほど取り上げられるエピソードがあります。
それは、2012年1月に開催された小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会の3年生の部において、藤井少年は準決勝で伊藤少年に敗北しました。
この敗北がよほどショックだったのか、藤井少年は悔しさのあまり涙を流し、一時トイレの個室にこもるということがありました。
それ以来伊藤さんは「藤井聡太を泣かせた男」と紹介されることが多いとか。
棋風・人物
伊藤七段は居飛車党で、得意戦法は相掛かりです。
渡辺明九段曰く、
「伊藤七段の棋風は藤井竜王に似ていて、序盤から突き詰めていって理解度が深い。現代将棋の最新形をリードしているところでは藤井竜王、永瀬王座(当時)の次に伊藤七段の名前が挙がります。」
だそうで、伊藤七段の実力を認めています。更にこの3人のことを「AI研究の3強」と言っていました。
父親の職業は弁護士
前述のとおり、伊藤七段に将棋を教えたのはお父様ですが、現在のご職業は弁護士です。
活躍するフィールドは違えど、どちらも優秀な方ですね。
名前は伊藤雅浩さんと仰り、2008年から弁護士をなさっています。
Xに自身のアカウントを持っていて、プロフィール欄によると愛知の名門「千種高校」を卒業し、名古屋大学大学院工学研究科情報工学を修了されているようです。
その後に一橋大学法科大学院へと進学しているので、この時に弁護士を目指したと考えられます。
現在は藤井八冠と叡王戦を戦う
現在2人は、将棋の八大タイトルの1つ「叡王戦(えいおうせん)」五番勝負の真っ只中です。
先日、伊藤七段の2勝1敗で迎えた第4局が千葉県で行われ、タイトルを持つ藤井八冠が挑戦者の伊藤七段に勝って、決着は6月20日の最終局に持ち込まれました。
伊藤七段が、藤井八冠1強時代に待ったをかけるのか大変注目される最終局になります。
かつてのライバルの背中が見えてきました!
追記
6月20日に第九期叡王戦、五番勝負第五局で伊藤匠七段が藤井聡太叡王に勝利して、自身初のタイトルを獲得しました。おめでとうございます!!
まとめ
今回は、伊藤匠七段について調べてみました。
伊藤さんも若くしてプロの世界に入り、将来が有望視される期待の棋士の一人です。
先に行われた叡王戦で見事伊藤匠七段がタイトルを奪取しました。
個人的には、藤井さんに足りないものは同世代のライバルの存在だと思っていたので、今回の結果を受けて、将棋界がますます盛り上がっていくことでしょう。
最後までご覧いただき有難うございました。